大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(ワ)309号 判決

原告

若山治郎

被告

矢部祐二

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、二八六〇万円及びこれに対する昭和六一年三月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  事故の発生

被告は、昭和五八年一月二六日午後七時ころ、原動機付自転車(高崎市い九〇六二、以下「加害車」という。)を運転して、高崎市小塙町六三一番地九先路上(以下「本件道路」という。)を走行中、自車を原告に接触させて転倒させ、傷害を負わせた(以下「本件事故」という。なお、右事故の発生した地点を「本件事故現場」ということがある。)。

2  責任原因

原告は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任がある。

3  傷害及び治療経過

原告は、本件事故により口腔内挫創、上口唇擦過創、額面擦過創、全身打撲及び脳挫傷等の傷害を負い、左記(一)から(四)のとおり合計三三二日間にわたり入院治療を受けたが頭部打撲による後遺障害が残存し、右は自賠法施行令二条別表の後遺障害等級(以下「後遺障害等級」という。)三級三号に該当するとの認定を受けている。

(一) 昭和五八年一月二六日から同年三月七日まで

医療法人博仁会第一病院

(二) 同年三月八日から同年六月二三日まで

国立第二病院

(三) 同年六月二四日から同年八月一九日まで

鴨川サナトリウム

(四) 同年八月二〇日から昭和五九年二月一九日まで

医療法人泉会赤坂台病院

4  損害

(一) 治療費 三五四万七八〇七円

(二) 入院雑費 三三万二〇〇〇円

右3(一)ないし(四)の入院中に支出した諸雑費

(三) 付添看護料 一二二万八四〇〇円

(四) 逸失利益 三三八三万円

原告は、本件事故当時六四歳(大正六年九月一七日生れ)で学級法人東京農業大学に勤務し、年額七六五万円を上回る給与所得を得ており、向後満六五歳の停年退職をはさんでなお六年間は右と同程度の収入を得られたはずであつたところ、前記のとおりの後遺障害のため労働能力を一〇〇パーセント喪失したので、ライプニツツ方式で右就労可能期間に見合う得べかりし収入を算出すると三三八三万円(一万円未満切捨て)となる。

なお、原告は円満に停年退職し、所定の退職金も受領している。

(五) 慰藉料 一四一七万円

(1) 入院治療期間分 一五七万円

(2) 後遺障害分 一二六〇万円

(六) 過失相殺、損害の填補

右のとおり、原告は損害を被つたものであるが、本件事故発生には原告にも一割の過失があると思われるのでこれを過失相殺した四四六〇万円(一万円未満切捨て)に、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から給付を受けた一六〇〇万円を充当した残り二八六〇万円が本訴請求に係る損害となる。

5  以上のとおりであるから、原告は、被告に対し、二八六〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和六一年三月九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の認否及び主張

1  請求原因1(事故の発生)の事実は認める。

2  同2(責任原因)は被告が運行供用者であることは認めるが、責任は争う。

3  同3(傷害及び治療経過)の事実は、原告が本件事故により傷害を負い、入院治療を受けたこと、後遺障害等級三級三号該当の認定を受けていることは認めるがその詳細は不知。なお、原告は、本件事故前精神的疾患等の疾病を有していたのであり、本件事故と後遺障害等級三級三号該当の後遺障害との因果関係は否認する。

4  同4(損害)の事実は、(一)の治療費、原告に本件事故発生につき過失があること及び原告が自賠責保険から一六八七万円(一六〇〇万円ではない。)の支払を受け、右限度で損害が填補されたことは認めるが、その余の事実は不知。

5  同5の主張は争う。

6  免責及び過失相殺の主張

(一) 免責

被告は、加害車の運行につき運転者としての注意を怠らなかつたものである。本件事故は、専ら、泥酔の上突然加害車の進路前方によろめき出た原告の一方的過失により発生したものであり、原告には本件事故を回避し得る余地がなかつたものである。また、加害車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたのであるから、被告は自賠法三条但書により本件事故に対する損害賠償責任を免責されるべきである。

(二) 過失相殺

仮に、右免責の抗弁が理由を欠くとしても、前叙の本件事故発生態様に照らすと、事故発生に寄与した原告の過失は甚大なものであるというべきであるから、損害額の算定に当たつては右原告の過失が十分にしんしやくされなければならない。

三  被告の主張に対する原告の認否

被告の免責の主張は争う。また、過失相殺の主張は、原告にも一割の限度で落度があることは既に自認しているとおりであるが、右以上の過失相殺は不当であり許されるべきではない。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2(責任原因)については、被告は、加害車の運行供用者であることは認めるものの、免責を主張して本件事故の責任を争う。そこで、右につき判断する。

前記争いのない事実に、いずれも原本の存在、成立共に争いのない乙一号証、三号証の一ないし六、四号証の一ないし三、五号証、六号証、一〇号証、一二号証及び本件事故現場付近の道路状況を撮影した写真であることに争いのない乙一四号証、一五号証、一六号証の一ないし六によれば、被告は、昭和五八年一月二六日午後七時ころ、加害車を運転して本件道路を時速三〇ないし三五キロメートルの速度で走行中のところ、街路燈もなく進路前方の路上は暗く見通しはさして良くなかつたのであるから、車両の運転者として日中以上に前方を注視して安全運転を行うべき注意義務を有していたにもかかわらず、寒さのため目を細くし、前方の注視をおろそかにして進行を続けたため、わずか四、五メートルの直近に至つて進路前方路上に泥酔状態でふらつきながら歩行している原告(黒い羽織、袴を着用)を発見し、あわてて急制動の措置を採つたが間にあわず、自車を原告に接触させて転倒させ、後記認定の傷害を負わせたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

すると、原告が泥酔の上、暗い車道上を黒い羽織袴という発見しにくい装いでふらついていたことが本件事故発生の一因となつていることは否定できないが、被告に右認定のとおり過失が認められる以上、その余について判断するまでもなく被告の免責の主張が採用できないことは明らかである。よつて、被告は、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任があるものといわなければならない。

三  次に、原告の傷害及び治療の経過について判断する。

原告が本件事故により入院治療を要する傷害を負い、自賠責保険において後遺障害等級三級三号の後遺障害がある旨の認定を受けていることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に前記認定の本件事故発生の態様、原告が泥酔状態にあつたことの各事実、成立に争いのない甲一号証(原本の存在共)、七号証、八号証、一〇号証、乙一七号証、二〇号証(甲八号証と同一のものと推認される。)、二一号証の一、二(右乙号証はすべて原本の存在共)及び証人若山美咲江の証言(以下「若山証言」という。)によれば、原告は本件事故により、転倒した際頭部ほか身体各部を路面に強打し、脳挫傷、口腔内挫創、上口唇挫創、左眼窩部挫創、両上下肢擦過創、顔面擦過創及び全身打撲の各傷害を負い、意識不明の状態で博仁会第一病院に運び込まれ、同日から昭和五八年三月八日まで四二日間入院して治療を受けたのをはじめ、引き続き同年六月二三日まで一〇八日間国立東京第二病院、同年七月一四日から同月二〇日まで七日間鴨川サナトリウム病院、同年八月二〇日から昭和五九年二月一九日まで一八四日間赤坂台病院にそれぞれ入院して治療(頭部外傷に対するもの)を受け、更に、同年四月二三日から同年六月四日までの間四三日聖マリアンナ医科大学病院に通院して治療を受け、同年一〇月三一日、前頭葉萎縮等のため自発性が著しく低下し終日を呆然状態ですごす、あるいは日常生活に必要な抽象的事象の把握能力が低下したため日常生活に支障をきたす(もつとも介護を要するほどのものではない。)などの後遺障害、症状を残して症状固定の診断を受け、自賠責保険において後遺障害等級三級三号に該当する旨の認定(当事者間に争いがない。)を受けるに至つていることの各事実が認められ、右認定事実を覆えすに足りる証拠はない。なお、原本の存在、成立共に争いのない乙七号証、前記若山証言によれば、原告は本件事故前からそううつ的な状態があつたことがうかがわれるが、これも精神科医の治療を要するほどのものではなかつたものであり、労働能力の評価としてであればともかく、本件事故の態様等前記認定の事実に徴するとき、本件事故の後遺障害に関する右認定を妨げる事情とはならない。

以上の認定によれば、原告は、本件事故により後遺障害等等級三級三号該当程度の後遺障害を被つたものと解するのが相当というべきである。

四  進んで損害について判断する。

1  全損害額 一八九一万六六七三円

(一)  治療費 三五四万七八〇七円

治療費三五四万七八〇七円を要したことは当事者間に争いがない。

(二)  入院雑費 一七万〇五〇〇円

前記認定のとおり、原告の入院期間は通算三四一日であるところ、原告の年齢、性別、症状、入院期間が長期にわたつていること(入院に要する衣類、洗面具等必需品の大半は当初の購入で足り、右程度の期間であれば一日当たりの必要雑費は相当低額なものにとどまるものと解される。)その他諸般の事情を考慮し、本件事故と相当因果関係のある入院雑費相当の損害は、一日当り五〇〇円として一七万〇五〇〇円と認める。

500円×341日=17万0500円

(三)  付添看護費 一九万八三六六円

前掲甲一号証、乙一七号証、若山証言のほか前記認定の原告の傷害、治療の経過に原本の存在、成立共に争いのない乙一八号証の一、二、一九号証の一ないし三及び弁論の全趣旨を合わせて考察すると、本件事故と相当因果関係のある付添費相当の損害は、職業付添婦に要した一三万八三六六円のほか、諸般の事情を考慮し、一日三〇〇〇円として二〇日間六万円との合計一九万八三六六円と認めるのが相当である。

(四)  逸失利益等 〇円

原告は逸失利益相当の損害として三三八三万円を主張する。

そこで検討するのに、原告は本件事故当時満六四歳で私立大学に勤務していた者であり、平均的な稼働可能年齢六七歳まで三年を残していたが、本件事故による欠勤の影響を受けることもなく満六五歳で停年退職の扱いを受け、所定の退職金を受領していることは自ら認めるところであり、したがつて、休業損害の類の損害発生は認められない。また、前記認定の後遺障害に徴し、原告は労働能力を一〇〇パーセント喪失しているものと認めるのが相当であるが、前記認定のとおり原告は本件事故前からそううつ的なところが認められ、また本件事故時の装い、若山証言などからすると性格的ないし気質的に一風変つたところがあることを否定できず、右退職後の就労についても具体的なことは定まつていなかつたこと(若山証言)なども合わせ考察すると、原告については、本件事故に遭遇しなかつたとしても、停年退職後の就労の可能性を認めることはかなり困難ではなかつたかと思われる。したがつて、原告については休業損害あるいは逸失利益としての損害を認めることはできないものといわざるを得ない。ただし、稼働の可能性がおよそ奪われてしまつたことについては、後の慰藉料算定に当たり、後遺障害の程度として相当程度考慮することとする。

(五)  慰藉料 一五〇〇万円

前記認定の本件事故の態様、傷害の内容・程度・治療ないし入通院の期間、後遺障害の内容と程度その他本件審理に現れた一切の事情をしんしやくすると、本件事故により原告が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、一五〇〇万円と認めるのが相当である。

以上の損害を合計すると、一八九一万六六七三円となる。

2  過失相殺 三割

本件事故が被告の前方不注視の過失により生じたものであることは前記認定のとおりであるが、被告においても、泥酔状態で現に車両の走行している本件道路上をふらついていたこと、しかも、本件事故発生時刻は一月の午後七時であり、街路燈もなく暗い路上を黒い羽織、袴という車両運転者の視認を困難ならしめる装いであつたことを思うと本件事故の発生にはかかる原告の事情も大きく作用しているものと認めざるを得ず、右の程度は控え目にみても三割を下ることはないものというべきである。

すると、右事情を考慮した上での原告の損害額は、一三二四万六七一円(一円未満切捨て)となる。

3  損害の填補と残存損害賠償請求権の有無

前掲乙二一号証の一、二によれば、原告は本件事故につき自賠責保険金一六八七万円(一六〇〇万円の限度では当事者間に争いがない。)の支払を受けたことが認められるところ、これを自己の損害に填補したことは少なくとも一六〇〇万円の限度で原告の自認するところであるから、過失相殺後の前記認定の損害額一三二四万一六七一円に徴するとき、もはや原告には本件事故による損害賠償請求権は残存しないものであることが明らかである。

五  よつて、原告の本訴請求は、その余について判断するまでもなく理由がないから失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村啓)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例